「なんということだ! きみ! ベッドが二つもあるじゃないか! 馬鹿なのか!? 死ぬのか!?」
「いや、馬鹿は先輩です。二人で泊まるんだから二つあるのは当然というか必然でしょう」
「ふざけるな! これじゃあえっちぃことができないじゃないか!」
「しなくて良いです」

 レストランで夕食後。
 僕と先輩は本日宿泊するホテルの一室に到着した。

「この甲斐性なしが! 実物を見ずともきみのアレがミジンコサイズだというのがよくわかるわ! 顕微鏡が必要だよきみ!」
「すみません、静かにしてもらえますか?」

 まぁ、なんというか、僕にも貞操観念というのがあるのだ。
 ……いや、違うかな。
 おそらく僕は、怖いのだろう。
 文字通り先輩に傷を付けてしまうのが、どうしようもなく怖いのだ。
 それが先輩の言うところの甲斐性なしというのなら、どう言い訳したところでその評価を認めざるを得ないだろう。

「明日に備えてさっさと寝ましょう。先輩、お先にお風呂入って下さい」
「わかった。途中から入ってきても良いのだぞ?」

 と、先輩は妖艶な笑みを浮かべる。
 セクシーではなかった。
 
「……気が向いたらそうします」
「はっ! そんな気、最初からないだろうが」

 と、先輩は服を脱ぎ捨て、僕に向かって思いっきり中指を立ててから浴室に入って行った。
 僕は紳士だから、と言い訳しつつ、散らかった先輩の服を回収する。
 うぅむ。
 下着を掴んだだけで身体が震えてしまう。
 まだ温かみのある縞々パンツは僕の心をグイグイと締め付ける。
 結局、僕はただのチキン野郎なのだ。
 気持ちを落ち着けるためホテルに備え付けれたテレビをボーっと眺めていると、先輩が浴室から出てきた。

「ふぃー、さっぱりしたよ」

 お風呂の温度でとろけてしまった感じの緩い表情で先輩はベッドに腰をかけた。
 長い髪の毛はバスタオルでぐるぐる巻きにされてまとまっていて、いつもの先輩とはなんだか雰囲気が違って見えた。
 ちなみにパジャマは着用済みである。
 先輩愛用のネコさんパジャマだ。

「きみも入ってきなよ。私のエキスがたっぷり入ったお風呂が用意済みだ」

 物凄く嫌な言い回しだったが、僕は気にしないふりをして浴室に向かった。
 先輩エキス風呂で汗を流してから部屋に戻ると、大の字になった先輩がベッドで寝息をたてていた。

「うわぁ」

 と思わず口にしてしまうくらいだらしなかった。
 まぁ、今日はよく歩きまわったし、あれほどハシャいだのだ。
 そりゃあ疲れただろう。
 思う存分熟睡して、明日への体力を回復してもらいたい。
 点けられたままだった電気を消して、僕もベッドに潜り込む。
 僕も結構疲れたのだ。

「…………」

 うとうとと、夢と現実の狭間を揺らぎだしたところで、僕のベッドに何者かが侵入してくる気配を感じた。

「……なんですか、先輩」

 目を開けずに僕は答える。

「一緒に寝ようよ」

 眠たそうな力無い声音が耳元に囁かれる。
 いつもの威厳も感じさせない。

「……変なことしないでくださいね」
「じゃあ、手」

 言って、先輩は僕の手をベッドの中から探り当て、マシュマロのように柔らかな掌を、優しく覆うように重ねた。
 そして、また小さくて今にも眠りそうな声音で、耳元に話しかける。


 私はね……卒業するのが嫌だよ。

 不安で仕方がない。

 卒業してしまったら、きみに会えなくなってしまうからね。

 知っているだろう? 私は人見知りなのだよ。

 きみと離れるというのが、私は怖いのだ。

 今回の旅行は、本当に嬉しい。

 卒業しなければ、こんな楽しい日がまだまだ送れると……いうのにな。

 ……卒業は……ほんとうに……いや……だな……。
 
 私はね……きみの……


 気がつくと、先輩は小さな寝息を立てていた。
 卒業……か。
 先輩は卒業する。
 僕と先輩は一つ違いだ。
 この四月で、先輩は大学生に、僕は高校三年になる。
 今回の小旅行は、大学生になる先輩へのプレゼントだ。

「……僕も先輩と離れるのは嫌ですよ」

 と、僕は心の中で呟いた。